日記ダイアリー2024-04

日記・随筆160 2024-04

何気ない日常、旅、そして映画。日々の思いを綴ってみました。

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160 2024年11月17日(日)PD患者,膝関節置換手術を受ける 

 DBSの術後報告を書いていたのが今年の春。それからもう半年以上も過ぎ今年ももう後残り1カ月余りとなってしまった。書く前に先に言ってしまえば,今年の夏の2大事件は,「PD患者,北米大陸を歩く」(7月)と「PD患者,膝関節置換手術を受ける」(8月〜9月)である。
 どちらも冷静に日記で振り返ることができないぐらい,非日常的な・異常な体験となった。振り返って記録を書く余裕というか,精神的安定が戻ってきたので,この年末に書こうと思っている。時系列的な点で言えば「北米・・」先であるが,ここでは逆に「膝関節」の方から先に書く。


【先輩のアドバイス】
 私の右膝が相当悪い状態にあることは,すでに,「なんだこりゃ43 熟年時代・老年時代2 病気の山致し方なし1」などで述べてきた。もういちど概略すると,30代・40代、ソフトボール・バレーボール・サッカーなどでの無理がたたって,私の左膝は右のレントゲン写真で明らかのように間接部の軟骨の破壊,関節全体のゆがみ等,深刻な状況となっていた。そんな状況になる前に何とかする手はもっとずっと以前にあった。
 左膝関節に初めて痛みを感じた日を今も覚えている。2005年1月腸閉塞で山内ホスピタルへ入院していた時,回復も早くもうすぐ退院できると言うことになったある日,なまった身体を鍛え筋力をつけようと病院からパジャマのままジョギングに出かけた。少し走ると膝の中心にそれまで経験したことがない鋭い痛みを感じた。それが今に至る膝関節症の痛みの始まりであった。今から11年前のことである。
 それから,いくつかの薬を飲み,岐阜市内の整形外科をいくつか巡り,ヒアルロン酸の注射も打ちいろいろやったが痛みは消えるどころかむしろ次第にひどくなってきた。
 そんな時読んだのが退職校長会の会報61号に寄稿された村居一也先生の「人工関節に至るまで」であった。



左膝のレントゲン写真(手術の1年前の撮影)

 先生は体育の教員であり,また,岐阜県バスケットボールの教員チームの中心として活躍され,その代償として,
「もう少し放置した状態が続き,(手術が)遅れていたら車椅子を覚悟してもらうところでしたよ」という所を,2021年3月に右膝を,同年11月に左膝の人工関節置換手術を受けられました。これが成功し,
「術後も正座などの運動制限はあるものの,痛みを感じない生活ができており大変満足しています。」という状況にまで改善された。

 私は村居先生とは2校目の郡上高校に在任中に同じ中濃・可茂地区のバスケットボール部顧問としてご指導を受けたという間柄であるに過ぎなかった。是非とも手術の詳細について話しを聞きたかったので,体育の先生関係のつてを頼って電話番号を教えてもらい接触することができた。
 いろいろ励ましのお話しを頂いたが,最終的には「手術を受けて良かった」,「リハビリを嫌がらずにちゃんとやること」が後押しの言葉となって,私も手術を決意した。
 運良くM整形外科の副院長が膝関節の専門家ということもあって話は進み、アメリカから帰国して3週間後,8月24日に手術を受けた。以下は私の左膝に埋め込まれている金属製の人工関節である。(手術直後に撮影されたレントゲン写真。医師は説明をしたが麻酔が覚めた直後だったのでどちらがどういう写真か覚えていない。)


【リハビリ】
 手術直後の3日間は左足全体が痛く,「リハビリなどできるものか」という気分だった。その3日間は食事はベッドの上で,そしてドレイン・バッグをぶら下げていて排尿もベッドの上で行った。ペニスの中にドレイン・バルーンがつけられているのはいかにも屈辱的であり4日目にそれが取れたのは非常に良かった。
 しかし,当然だが反対に靴を履いてトイレまで行って排尿せねばならず,5日目から1週間後あたりまでは,足は曲がらず手は靴を履こうにも足先まで届かない,加えて左足の方はパンパンに腫れていて靴の中に足が入らないという状況だった。これには一計を案じ,家から靴べらを持ってこさせ,それで足を靴の中にねじ込んだ。
 手術後8日目,最初にシャワーを浴びてもいいと言われた頃から痛みは常識の範囲内に治まりはじめた。リハビリの時間の「ちょっと我慢して」という時の膝の屈伸以外は,「ギャー」と声を出すことも少なくなり,副院長も「順調です」とのことであった。


 上の左の写真は手術前の私の左足のものである。左膝を内側やや上方から撮影している。手術前に痛かったのはこの左膝の内側で,パンツをはくために片足立ちしようとすると,ぐりぐりと音がして猛烈な痛みが襲い中断せざるをえないという状況だった。ちなみに,茶色いブツブツはこれまでバレーボールその他のスポーツで擦り剥いたりした時の古傷であり,本手術とは無関係である。
 上の右の写真は,昨日(2024年11月16日)の私の左足のものである。こちらの方は膝の正面やや内側上方からの撮影である。中央に太い切開跡が上下方向に1本,その左右に細い切開跡が1本ずつ,さらにそれらに直角に横方向の細い切開跡が確認できる。これだけ切開されれば痛かったに違いないと自分で自分に感心している。
 左と右の写真は倍率が少し異なるのでそのまま単純な比較はできないが,左写真の足は筋肉が十分見られるが,右写真の足は筋肉がしぼんでしわしわになってきてしまっている。

【リハビリ2】 
 今後は次の点に注意して,リハビリを継続しなければならない。
1 膝の前後の可動域の拡大。現在110°程であるが,130°を目標としたい。
2 左右の可動域については,そもそも膝はねじれに弱いためより慎重に拡大を図る。
 

3 医師と理学療法士・作業療法士の指導や発想の矛盾に気づきできるだけ失敗のないリハビリに挑む。(例 手術15日後,医師は「患部を冷やせ」といい,理学療法士は冷やすな」という。)

 手術によって膝関節症の痛みはなくなり,その意味で手術は成功した。しかし,膝に金属という異物を入れたのであるからそれが身体になじむには相当な時間がかかる。辛抱強くかつサボらずリハビリを続けなければならない。
 大きな変化があったら,レポートする。

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